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2019.09.19 草初め
早朝、
露を払い、山へ。

秋の薬草狩です。

路傍に秋萩垂れ
斜面に熊笹踊る

クズは恋の季節。

頬を染めて紅衣
蜂を招いて蜜談(ひそひそばなし)

草陰の紅一点。
ゲンノショウコです。

舞妓さんの口紅のように愛らしく
笹を日傘に涼んでいます。

グングン伸びた杜仲の葉
ああ、手折りし音の潔さ


クズ

ゲンオショウコ

トチュウ



空は蒼く
水は清く

心は少年
眼は狩人


この日、狩った薬草22種。

楽しい一日でした。



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第二のふるさと、北米シアトル。

水と緑あふれる、きれいな街です。

夏は涼しく、
初秋には細雨が哀愁を誘い
晩秋には落葉が土に帰り
厳冬には粉雪が舞い
早春にはラベンダーの香りが 
草原をふきぬけます。

高級住宅街が並ぶ湖畔の一角に、
ワシントン大学の植物園があります。

青春の日々、
ここが私の隠れ家でした。

一升瓶を枕に寝ころび 空を見上げました。
やわらかい草の感触に流れる雲・・・。

それは100年前、
当時の先住民族インディアンが
草原はるかに拝んだ雲―。


ゆり



アメリカ第14代大統領、フランクリン・ピアス。

1854年、
彼はこの地に住んでいた先住民族に土地の買収を申し出ます。
翌年、インディアンの首長シアトルはこの条約に署名。

そのとき、一通の手紙を大統領に送りました。


「ワシントンの大首長が
土地を買いたいといってきた。

どうしたら、空が買えるというのだろう?
そして、大地を。
わたしには、わからない。

風の匂いや 水のきらめきを
あなたはいったい
どうやって買おうというのだろう?

すべて この地上にあるものは
わたしたちにとって 神聖なもの
松の葉のいっぽん いっぽん
岸辺の砂の ひとつぶ ひとつぶ
深い森を満たす霧や
草原になびく草の葉
葉かげで羽音をたてる
虫の一匹一匹にいたるまで

すべては
わたしたちの遠い記憶のなかで
神聖に輝くもの。

わたしの体に 血がめぐるように
木々のなかを 樹液が流れている。
わたしは この大地の一部で
大地は 私自身なのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・
だから 白い人よ
どうか この大地と空気を
神聖なままに しておいてほしい。
草原の花々が甘く染めた
風の香りを かぐ場所として。


花



・・・・・
わたしが立っている この大地は
わたしの祖父や祖母たちの灰からできている。

大地は
わたしたちの命によって 豊かなのだ。

それなのに 白い人は
母なる大地を 父なる空を
まるで 羊か 光るビーズ玉のように
売り買いしようとする。

大地を むさぼりつくし
後には 砂漠しか残さない。

・・・・・・・・・・・・・
大地は わたしたちに
属しているのではない。
わたしたちが 大地に属しているのだ。

たおやかな丘の眺めが
電線で汚されるとき
藪(やぶ)は どうなるだろう?
もう ない

鷲は どこにいるだろう?
もう いない。

足の速い小馬と
狩りに別れを告げるのは
どんなにか つらいことだろう。

それは 命の歓びに満ちた 暮らしの終わり。
そして ただ 生きのびるだけの
戦いがはじまる。


夕日


・・・・・・・
ひとつだけ 確かなことは
どんな人間も 赤い人も 白い人も
わけることができない ということ。
わたしたちは結局
おなじひとつ兄弟なのだ。

わたしが 大地の一部であるように
あなたも また この大地の一部なのだ。

大地が わたしたちにとって
かけがえがないように
あなたがたにとっても
かけがえのいないものだ。

だから 白い人よ。わたしたちが
子どもたちに 伝えてきたように
あなたの子どもたちにも 伝えてほしい。

大地は わたしたちの母。

大地にふりかかることは すべて
わたしたち 大地の息子と娘たちにも
ふりかかるのだと。

あらゆるものがつながっている。

わたしたちが
この命の織り物を 織ったのではない。
わたしたちは そのなかの
一本の糸にすぎないのだ。

生まれたばかりの赤ん坊が
母親の胸の鼓動を したうように
わたしたちは この大地をしたっている。

もし わたしたちが どうしても
ここを 立ち去らなければならないのだとしたら

どうか白い人よ

わたしたちが大切にしたように
この大地を 大切にしてほしい。

美しい大地の思い出を
受けとったときのままの姿で
心に 刻みつけておいてほしい。

そして あなたの子どもの
そのまた 子どもたちのために
この大地を守りつづけ
わたしたちが愛したように
愛してほしい。いつまでも。

どうか いつまでも。」

「父は空 母は大地―インディアンからの手紙
FATHER SKY, MOTHER EARTH」 
寮 美千子編・訳



あれから160年、
近代文明をきわめ、
超大国となったアメリカ。

でも、シアトルが警告したように、
アメリカは、生きのびるだけの戦いに
疲れてきたようです。

一つの夢―。
それはいつの日か
シアトルが愛した草原の草花を
野草酢のカメ壺にお招きしたい。


壺




カメ壺は小さな宇宙、
いのちの星。

そして、
文明の疲れを癒す、
母なる大地にこうささやきたい。

時代はきっと、帰ってきますよ。

あなたがたの心に。



2019.09.14 阿蘇の宴
秋風にゆれる大草原。


熊本大地震の傷跡は癒えたのか、
外輪山の裾は雄大で、
ロッキー草原のように美しい。


阿蘇高原



この日、
阿蘇の南小国に遊んだ。

人口4,000人。

九重連山の麓のこの町に、
心を通じた友人たちがいる。

牛肉オレンジ自由化の衝撃が走った1989年、
大隅・薩摩に農業青年による「農援隊」が立ち上った。

―国際化にどう対応するか、

からいも交流を通じて結ばれた志は県境を越え、
宮崎の“諸県農援隊”、熊本・大分の“豊肥農援隊”誕生させた。

九重町の農協青年部が、
アメリカ車を焼いて自由化への危機感をあらわにした同じ地域で、
異文化を受入れ、噛み砕くキバを磨こうとする、
もう一つの組織が生まれた。

その発起人が、
兄弟のような井さんと河津さんだった。

野菜を作る井さん、
赤牛を飼う河津さん、


「何か行動ばせんと、
“井の中の蛙”では農業も村も滅びますけんね」

穏やかな笑みを浮かべて語る、
二人のコンビは不思議な清涼剤だった。


幕末、
熊本には宮崎滔天・八朗兄弟が生まれ、
豊後中津には、
後に西郷軍蜂起に馳せた増田宗太郎がいた。

八郎も宗太郎も西郷軍に参じて戦死。

滔天は“アジアは一つ”の理想を信じて、
中国革命家孫文の最大の同志となった。

そんな歴史の血脈がまだ流れていたのか、
農援隊決起に呼応した、この二人。


あれから30年―。

井さんは、
瀬の本高原の国道沿いに郷土料理店「野菜屋」を開き、
名物「だご汁」は自家製の野菜をふんだんに活かした、
ふるさとの味をいまに伝える一品である。

河津さんは、
20年の歳月をかけて造った林に「工房カリン」を立て、
自ら焼いた陶器に盛るセンベイとパンは、
遠く福岡圏から客を魅了する味をもつ。

また共に合鴨農法で育てたお米は、
阿蘇焼酎「満願寺」を産み、
飲む人の舌を震わす。


野菜屋

陶器

ミツバチ


「田原坂では苦労をかけました」

この挨拶で始まった、山林の宴。

子供が減ったこと
絶滅集落のこと
家族のこと
グローバル化のこと
米中経済戦争のこと
炎上する反韓感情のこと
今後の朝鮮半島情勢とアジアの将来・・・

熱っぽい談義は夜半まで続いた。


宴1


宴2



「戦後、押さえつけられてきた反米感情は、
 かならず噴き出す」

こう呻いたのは、同行の永山敏郎ちゃん。

「隠されてきた歴史の虚と実は、
 どんどんあばかれつつある。
 その火は韓国問題で燃え上がり、
 やがて米国に向かうど」

国際線航空ファーストクラス用の「有機茶」を作る彼は、
韓国人を始め、多くのアジア系留学生を受入れ、
韓国とはいまでも家族の交流を続けている。

その言葉には学者や評論家、メディアの論調とは違う、
真に迫るものがある。

つまり、韓国の本音を熟知しているのだ。

からいも交流の凄さは、
虚と実をとっぱらった真実を見つめるちから、
表に出ない“沈黙の言葉”を聴ける草莽人を育てたことだ。

時代が大きく変わろうとするとき、
その歴史の血脈と断層をいち早く見抜き、
炎上するメディアやネット情報を冷静に分析し、
あるべき未来像を描くー。

そんな話が30年の歳月でますます熟成し、
柔らかい赤牛の肉や焼酎の風味にとけている爽快さ。

その中に、
野草酢の話しにじ~と聞き入る、老夫婦。

「じつは、孫娘が難病で・・・」

この夜、
みんなが持ち寄った手づくり商品は、
それぞれ物々交換となった。

野草酢は、
白血病の少女の治癒剤として、
また野菜屋と工房カリンではハーブドリンクとして、
メニュー化することが決まった。


お土産



「春にミツバチの箱を持って、鹿児島に行きますばい」

おみやげ満載の車、
春の再会が待ち遠しいな。










2019.09.09 壺寄せ
山は笑い
里は微笑み
野花は秘める、秋の音。

本日、
壺寄せです。

天然ハーブ発酵の野草酢。

そのまろやかな風味は、
草むらの中で育ちます。

酵素、ミネラル、ハーブ成分を熱から守り、
壺にほどよい発酵環境を贈るのは、“草洩れ陽”。

成層圏オゾンが、
太陽からの有害な紫外線を吸収し、地上の生態系を保護するように、
草たちは夏の強い日差しを吸収し、草洩れ陽になって壺を守ります。


壺寄


夏。

壺の上部は高温
壺の下部は低音

壺はこの温度差によってゆるやかに対流し、
あたかも北半球と南半球の地球のように、
いのちの星になるのです。

一年半の発酵・熟成を終えた春草。

半年後、
次の秋草の壺寄せのとき、
合体して「陰(秋)」「陽(春)」のいのちあふれる、
小さな宇宙になります。


壺寄せが終わると、
秋の仕込みです。


... 続きを読む
2019.08.29 墓前
猛暑と残暑のすき間に垂れる処暑の朝夕、
秋の音が聴こえる・・・。

はらはらと落ち始めた木の葉。
その遠くに雲垂れる国見の峰。


雲の山



早朝、
先祖の墓にお参りした。

「七郎左衛門 明治18年没 享年30歳」

祖祖父・七郎左衛門は明治10年の冬、
西郷軍に馳せて奮闘、傷を負って帰郷した。

余命長からざることを知った七郎左衛門は、
有馬伝之介を養子にし、家督を譲った。

その長子がわが父である。


墓


七郎左衛門




西郷軍が決起した遠因の口火は“朝鮮問題”であった。

維新後、
政府は朝鮮国に使者を送り、国を開き国力を増強するよう促した。
北方からロシアが迫っていたのだ。

幕末、
林子平は「海国兵談」で国防を論じ、
島津斉彬や勝海舟もロシアの南下を防ぐ朝鮮半島の位置に注目し、
国防の要として重視していた。

が、朝鮮は500年近い鎖国のくびきを解こうとせず、
逆に西洋に扉を拓く日本への反感を増長させ、
在留邦人との交流禁止を布告する有様だった。

「朝鮮打つべし!」

胎動期明治の熱は激し、
そのエネルギーは征韓論へと沸騰する。

新政府の重鎮西郷参議は征韓派を抑えるべく、
自らを正史として朝鮮に派遣し、説得させてほしいと奏上する。

藩主斉彬公のお庭番として四賢侯や志士たちと交遊する最中、
西郷は西洋文明の虚と実を透徹する国際感覚をもつ、
革命志士に変貌していた。

その真骨頂は、
幕府討伐の断を下した小御所会議のとき、
廃藩置県の断を下した維新政府のときに発揮された。

その西郷がなぜ、朝鮮特使に執着したのか。

この問いは、こう暗示する。

「朝鮮への対応を誤るは、亡国の道なり」


一度決定した遣韓使は、
明治六年、帰国した岩倉や大久保などの遣欧使節派に反対され、
奏上は却下された。

西南戦争を炎上させた、朝鮮問題。

その炎は、
やがて日清戦争、日露戦争の口火となり、
共産主義国家ソ連というモンスターを生み、
満蒙まで国防圏を広げた日本帝国の、
大東亜戦争・太平洋戦争へと至る、亡国の地雷原となった。

有史以来、
朝鮮半島に勃興する国は華夷秩序に収まる、
縮業ともいえる道を歩んできた。

その道に生える、
パラサイト症候群の草、草、草。

ときの覇者に寄生して生きる道は、
古代、中世、近世、近代に至るまで続いている。


今月22日、
韓国は「日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)」の破棄を通告した。

戦後、
英米が構築した冷戦構造の最後の砦“朝鮮戦争”永久化の鎖の一つが外れた。
外したのは米国ではなく、韓国。

米中派遣抗争の煽りで韓国を「ホワイト国」リストから除外した日本。
それへの対抗とはいえ、
韓国は桂馬の“横っ飛び”のように自ら着火して、炎上し始めた。

韓国の向かう道は、三つ。

一、 南北対話の促進と反日半島国家の統一
二、 朝鮮戦争の終結と在韓米軍の撤退
三、 中国を盟主とする華夷秩序への回帰


この変化を俯瞰して、
わがふるさとの雲上人はこう嘯(うそぶ)く。

「いやね、これは、トランプの筋書き通りさ。
 彼は朝鮮戦争を終わらせた大統領として、
 その名を歴史に残そうとしている。

 そのためには、
 韓国を煽って暴走してほしいのさ、

 国防省や国務省などは怒って見せたが、
 予定調和のことだよ。

 これでトランプは統一と撤退の大義名分を手にしたね。

 後は冷戦構造護持派を米中覇権争いの渦中に巻き込み、
 朝鮮分断を対中包囲網にすり替え、
 だれもが安心する「敵」づくりに走っている。

 その証拠に、
 民主党も共和党も対中敵視でまとまったようだね。

 この韓国暴走は途中で頓挫すればいいがね、
 そうでないとその炎は日本へと降ってくるな。

 トランプは煮え切らない従属の日本に飛び火させて、
 一気に炎上させようとしているのさ。

 この炎上には吉凶の意味があるな。

 この炎で“従属”の縄を焼き尽くして自立に向かうは、吉。
 この炎で“従属”の鎖を焼き直し永久隷属に向かうは、兇。

 吉と出るか、
 凶と出るか。

 歴史の歯車は動き出したよ。
 もうだれにも止められないね。

 それはね、
 桜田門外の一発の銃声で倒幕運動が始まったように、
 韓国の火遊びで冷戦構造が炎症するのさ。
 なんと言う歴史の因果かの・・・。

 くれぐれも日本は気をつけるんだね。
 米中に翻弄される“第二の韓国”にならないように、な。」


令和元年。晩夏。

七郎左衛門の墓前は涼しい。